炉から竈門へ
縄文時代の竪穴式住居では、建物の真ん中に炉があり、そこで料理をしたり、暖を取ったり、照明として使用していました。古墳時代(5世紀後半)になるとその生活様式に変化が生じ、竈門(かまど)が設けられるようになります。
竈門は、朝鮮半島から日本に伝わったもので、別名「韓竃(からかまど)」とも言われています。竈門は、壁際に粘土などで作られ、煙が屋外へ排出される構造となり、住居内の生活環境がよくなった。加えて、炉が壁側に移ったことで居住空間も広がりました。
調理法の変化(煮るから蒸すへ)
竈門の普及により、蒸し器である甑(こしき)が使用されるようになり、それ以前では、米は甕で炊くことが多かったようですが、甕を甑を組み合わせて蒸す調理へ変わ理ました。
甑とは、底の抜けた筒状の土器で、底に竹などで編んだ網代や布などを敷いて、その上に米などの食材を入れて使用しました。それを水を入れた甕の上に乗せて蒸したと考えられています。竈門は古墳時代以降、ガスが普及するまで家庭内の主要施設として各家庭などので広く使用されました。米の炊飯方法は、ここからさらに変化し、我々にも馴染みがある羽釜と木蓋を使用した炊飯方法に以降してゆきます。
火と水の神様
祖父の家の台所には、水の神様と火の神様を祀っていたのを思い出します。毎朝、祖父がそれぞれの神様に御供物をして、水を替え、丁寧にお祀りしていました。
昔は、ほとんどの家庭で、井戸や水甕の近くに「水神さま」のお札を、竈門の近くには、火の神である「荒神さま」のお札を貼っていました。荒神様は、台所の神と言われています。
竈門がある時代は、火の管理は主婦の仕事であり、火種を常に絶やさず、竈門の灰の中に熾火を保存しておくのが、主婦の役目であったようで、火種を切らして、隣家にもらいにいくのは、主婦の恥とされていたようです。今では考えられないですね。
ガスが普及し、ガスの火で料理するようになるまで、日常生活で火は神聖視され、その火を管理するということが重要視されていたことがわかります。
ガスの普及
ガスや水道などが整った台所が普及するようになったのは、関東大震災後です。台所が近代化されると、土間のように火と水を分ける必要はなくなり、台所は屋内に設置されるようになりました。
台所が設置される以前は、土間の竈門の焚き口に屈んで薪を焚べたり、土間の水桶に屈んで食べ物や食器を洗うなど、土間における作業は屈んで行うことが多かったですが、台所が屋内に設置されるようになってからは、立ったまま作業ができるようになりました。
このようにガス器具が普及するに伴い、縄文時代から続いてきた火を管理することが日常だった生活が一変し、火を意識することなく生活できるようになりました。日常生活は便利になった反面、火をつける行為が遠い存在となり、焚き火やバーベキューなどの機会がなければ、意識して火を使うことがなくなったのだと思います。