日本人と火の歴史

火の痕跡

日本列島においては、人が住んでいた痕跡が見つかっているのは、遡ることおよそ3万5千年前と言われています。そこでは、火を使った痕跡は見つかるが、どのようにして日本人が火を得ていたのかは、明確には分かっていないようです。

少なくとも今からおよそ1万2千年くらい前の縄文時代には、何らかの方法によって火を起こして使っていたことが推測されます。縄文時代といえば、縄文土器が浮かぶが、土器は粘土をこね成型し、火で焼いたものであるからです。この土器を使用することで、木の実などを煮て灰汁抜きに使っていたものと考えられます。

この縄文時代になると人々は、竪穴式住居と呼ばれる、地面を掘り下げて床を作り、そこに柱を数本立て、その上に草や木の皮を屋根をかぶせた。竪穴式住居の真ん中には、炉があり、ここで料理をしていたようです。この中央の炉は、料理の目的以外に、照明や暖房としても使用していたものと考えられます。

火起こしの方法

人類がどのように火をつかうようになったのかについては、前回ご紹介したとおり、

  • 落雷による森林火災
  • 太陽光などによる自然発火
  • 火山噴火に伴う溶岩などによる森林火災

などから手に入れたのではないかと考えられています。

では、偶然の方法ではなく、主体的に火を得るにはどのような方法があるのでしょうか。一般的な火起こしの方法として、摩擦熱発火法と火打ち石などを使う火花式発火法があります。

摩擦式発火法

摩擦式発火法は、火鑽棒(ひきりぼう)と火鑽臼(ひきりうす)を用いる方法です。

摩擦式発火法には、以下の方法があります。

  • きりもみ式
  • 紐きり式
  • 弓きり式
  • 舞きり式(まいきり)

きりもみ式とは:棒を立てて回転させ、穴を開けるようにして木と木をすり合わせる方法

紐きり式とは:紐を巻き付けた棒を回転させる方法

弓きり式とは:弓を前後に動かして紐に巻き付けた棒を回転させる方法

舞きり式とは:火鑽弓を回して、軸棒に紐を巻き付け火きり弓を下方に押し、紐が巻き戻る反動を使って、弓を上方に緩めることを繰り返す方法。

舞きり式は、江戸時代に考案された方法で、古代の遺跡から見つかっていないようです。古代から使われていたと勘違いしている方もいるようですが、江戸時代に伊勢神宮で考案されたと言われています。それ以前は、伊勢神宮でもきりもみ式にて火起こしを行っていたといわれています。

いずれも、火鑽棒と火鑽臼の摩擦によって木屑が生じ、それが摩擦熱によって高温になり火種となります。

最も原始的な方法は、きりもみ式と言われています。近々、このきりもみ式による火起こしを実践してみたいと思います。

火花式発火法

火花式発火法は、石と石、鉄と石を打ち付けて火花を散らすことにより、火をとる方法です。

日本においては、縄文時代晩期(おそよ3000年前)の遺跡から、摩擦式発火法を行なっていた痕跡が見つかっていますが、火打式発火法は、8世紀前半頃に使用されたことが分かっていますが、それより以前は、明確に分かっていないようです。

これは、火花式発火法は、石同士を打ち付けて使用する方法であるため、使えば使うほど小さくなってゆき、使用していた痕跡がわかりづらくなっているからではないかと思われます。

火打石による発火の原理は、火打石を火打金を打ち付けることによって、鉄が削り取られ、摩擦によって生じた火花が火口に落ちて火がつきます。

火打石には、石英、チャート、メノウ、黒曜石などが使われました。

火打金は、古代は、黄鉄鉱が使われたようです。現代では加工された鋼が使用されます。

この火花式発火法による火起こしについも近々実践してみたいと考えています。

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